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心の底にある不満を見つめる

人間の本性

人間という動物は、赤ん坊の時から今日まで自分のためだけに意識を向けて生きている。

自分の心が寂しがれば、その心を充たそうと必死に人の気を引く努力をするのである。

人間は常に寂しがり屋で、それでいて干渉を嫌う難しい生き物なのである。

自分を一番大事に思ってもらいたし、自分を大切な存在であると周囲に分からせたいと思っている。

自分が満たされることが最優先なのである。

人間の中に流れる ”動物の血” ”理性の血”

人間には ”動物の血” ”理性の血” が入り混じり善悪の二面性を持っている。

この入り混じった血をいかにコントロールするかが、人間の人生における核心ではないだろうか?

どんなに年を取ろうとも、どんなに若かろうとも死ぬまで、この ”動物の血” ”理性の血”は自分の中に流れ続け、自分を支配する。

誰だって良いときは、良い人になれる。仕事もプライベートも充実している時は明るく機嫌良く、元気もあり、笑顔もある。

心に余裕があるときは、良い振る舞いも出来るし、他人への受容や許容も幅広くなる。

しかし、緊急時や予想外な出来ごと、試練や逆境に立たされて時には、一遍して人は素に戻る。

人間の中にある ”動物の血” がそうさせるのである。

心の中の渦

人間はある時、心の中の渦に気がつく。

心の底にある不満に直面するのである。

幼児的願望が満たされていないことからくる不満は漠然として、かつ大きい。

愛されていないで生きてきた人は、自分がやりたい事が出来なかったという恨みがある。その恨みを心の底に置いたまま大きくなるため、人生を間違える。

人間とは十二分に自分という人間が注目を浴びないと、心が悲鳴を上げるのだ。

自分を大事なに思い、尊重されない生き方は自分自身を満たされないのである。

心の底にある不満は、理屈では片付けられない

心に不満がある場合、「そうするべきではない」と、理屈では分かってはいても、『そうではいられない』という気持ちになる。その意図に反して人間は満足を求めているのである。

『そうすまいとしてもせざる負えない』し、『気にすまいと思っても気になる』し。

もう理屈ではない次元で人間は葛藤して生きているのである。

『理屈もへたっくれもあるものか、まずは己を満たしてくれ』と、心の底にある不満が叫んでしまうのである。

幼い子に理屈が通らないと同じで、心の底にある不満を避けて通ることは出来ないのである。

抑圧された感情を抱えたまま生きれない

心の底に抑圧された感情は、見て見ぬふり、感じないふりをすればするほど、その不満に支配されて、身動きが取れない気なるのである。

それは、鬱積した不満が破滅への道へと誘うのである。

爆発しそうなその感情を抑えることが出来るのは、自分自身に正直になり、自分の心の奥深くに眠る不満を直視することである。

この『心の底にある不満に直面すること』、それが『運命を受け入れる』ということである。

そこから初めて、新たな人生の一歩を踏み出せるのである。

人間に備わっている能力

人間は幸か不幸か、外から見たのでは分からない葛藤と不満が心の中にあり、誰も目にすることは出来ないものである。

その人がどのような解決をすべきか課題を心の中に持っていて、その幸せは解決すべき課題によって大きく影響し、未解決の問題によってきまるのだ。

心の中に解決すべき問題を抱えていない人は幸せであり、解決すべき問題を抱えながら解決出来ない人は不幸である。

幸せを感じる能力は、過去の課題を解決出来ている人の能力である。