自分を見つめる

コロナ時代を生き抜く

この時代に生まれて・・・。

私たちはなぜこの時代に生まれてしまったのでしょうか?

誰もが思う疑問であるのに、それは誰にもわかりません。

私がなぜこの世に生を受けたのかもわかりませんが、きっと何か意後があるのででも、その生きている意味は、世界を救ったり、決めたりして、実に多く何かを残すためではないかのような気がしています。

私は看護師としての生活を送っています。

私は、人間の身体の不思議さに出会うと、やっぱり神様は存在するのではないだろうかと感じるんです。

だけど、最近思うんです。実は意味なんてないんじゃないかって。ただ、神様は気まぐれで試練を与えた。くじ引きだったのかもしれません。でも、この世に生まれてしまったのなら仕方ない。

遠い記憶

『私達は自らがこの時代、この親を選んで生きてきたんだ』と、誰かから聴いたことがある。

それが本当のことなのか、未だ自分自身解明出来ていない。

私も、人の親になり、この世に一つの命を生み落とす人生の一大事業を経験した。

それは命がけである。

 

子供がまだ2歳だったころだろうか・・・?

「どうしてこのママを選んだの?」と、子供に尋ねると、「このママが良かったのぉ」と子供はニコニコしながら私に言った。

懐かしい記憶である。

この出来事を思い出すと、この親、この時代を選んで生きてきているのようにも感じる。

不思議な出会いの中に自分は身を置いているんだなぁと、思うのです。

無力な我ら

人間は、様々なものを作ってきました。

その様々なもの中には、小さなものから大きな物、電気というエネルギーで車や電車や飛行機、ロケットから潜水艦まで何でも作ってきました。

それらが時代を作ってきたと言って良いでしょう。

それでも、自然の力をコントロールすることは出来ません。

科学はこんなに目覚ましく発展を遂げているのに、自然の爆発的エネルギーには勝てないのです。

地震や噴火、災害だって止めることは出来ません。

新型コロナウイルスだって、消滅させることは困難を極めています。

何人亡くなろうが、肉体が滅びようが、ウイルスはこの地上に生き残り私達を苦しめます。

私達は無力なのです。

無力を知る

私達は、今この時代に生き、様々な出来事を乗り越えてはいるが、小さな砂山の上に立っただけであり、何かを大きく変えるようなことは出来ていないのです。

人生は私に無力さを教えてくれます。人生の前で、私は語る言葉も正解も知らないからです。

自分の人生さえ自分の言葉で語ることができない私たちは、皆、無力なのです。

私達が手にしているテクノロジーだって、自然の爆発的な脅威の前では無力なのかもしれません。

私達に出来ること

自然のエネルギーは、私達が努力して積み上げてきたものだって、一瞬で奪うことは出来てしまうのです。

・・・

その無力な我々が出来ることは、『今を生きる』ことです。

無力でありながら、社会に問題を投げかけているのは我々自身の発想や行動が引き金となっているのです。

小さな我々一人一人が、小さな何かを起こして地球環境問題にまで発展させているのです。

私たちに出来る最大なことは、『今を生きること』『今を見つめること』ただそれだけです。

小さな社会に見る自分たちの世界

蟻を見ていると思うことは、いつも働いているようだということ。

他の虫や動物達もそう。

自分の命を生かすために全身全霊を込めて、今を生きているのです。

『今を生きる』『今を見つめる』ことは、自然と共存していく社会の在り方が見えてくるのではないだろうか?

様々な社会問題がある中で、何が悪くて、何が良くてとか考えることよりも、この一瞬を全力で生きることが最も大事なことのように思うのです。

コロナウイルスという驚異の前で

コロナウイルスがもたらす脅威に私達は手も足も出ず、無力さを痛感しながら日々を過ごしいます。

それでも生きて行かなければならないのが私達の宿命なのです。

コロナウイルスがこの世に蔓延しようがすまいが、この先の世の中がどのように変化するかは誰にも分からないのです。

コロナウイルスがこの世から無くなることは難しいことかもしれません。ですが、ここである程度開き直って、コロナと共存していくしかないんだと思うことが必要になるのではないでしょうか?

皆でこのコロナ時代を乗り越えていきましょう!!