健康

あなたが人生から求められているもの

あなたは、まだ 気づいていない

あなたは、あなたの人生を精一杯生きていますか?

”あなたの人生” はあなたが築いていくものと思っているのではないでしょうか?

あなたの人生は、あなたがこの世に産み落とされる前から、人様の力によって築かれてきたのです。

私と、私の知らない誰か

私という人間は、生まれた落ちた時に父と母を目にし、祖父母に出会い、徐々に人間関係の幅を広げながら人生を歩んでいきます。

私という人間は、口もきいたことがなく見たことがなければ、自分とは何の関りもない人だと判断してしてしまいます。

何の接点も無ければ、何の共通点もない。・・・そんな人が自分と繋がっているとは思えないですよね。

でも、それでも人と人とが繋がっているとしたら、あなたはこれをどのように理解し、解釈しますか?

その繋がりを心と肉体が感じなければ、頭では到底理解出来ることではないでしょう。

・・・

そうは言っても、あなたの中の深く眠る何かはそれを知っているのです。

命のリレー

両親は命がけで、あなたを必死に守って生きてきました。

近所の人や叔父さん叔母さんもそうです。あなたを見守って来てくれました。

そして、今度は自分が母親になり、父親になり、命を見守る立場になっていくのです。

人はそうやって変化しながら、命をつないで人生を歩んでいくのです。

 

命のリレー命がけです。

命がけで守られてきたその命をあなたはどのように生かしますか?

命の選択

最近、若くして命を絶つ人が多いように思う。

『命絶つことで訴える』という選択をした人もいるでしょう。『苦しくて苦しくて逃げたい気持ちで命を絶つ』という選択をした人もいるでしょう。『自分が誰からも必要とされていないと解釈して』命を絶つ人がいるでしょう。

『命はその人だけのものではない』とは言うけれど、ほんの一瞬、魔が差して旅立ってしまう方もいます。

どうして、命を絶たなければならなかったのか?

・・・

生きていれば、『死ぬ』という選択が出来る。

だが、死んでしまえば、『生きる』という選択肢も消え、死後、『もう少し生きたかった』と願っても、生き返ることはできないのだ。

生きているからこそ『死ぬ』という選択肢が与えられているのである。

死ぬことで、あなたの訴えは本当に伝わっているのか??

死んでしまえば、何をどうしたかったかさえ分からないままになってしまう。

親族や親友・知人がこぞって『可哀そうに・・・』と口々に言う。

(死に方によるが・・・。)

 

『可哀そう』の言葉の中には、親バカのように、偏った目線が存在がしてしまうのだ。

死んだ後も『可哀そう』と言われ続けても、本来あなたが伝えたかったことは伝わらない。

あなたが訴えるからこそ伝わるのであって、誰かが代弁しても伝わらない。

伝わるのは悲壮感だけだろう。

死ぬほど苦しい思いをしたあなたでなければ伝えられない出来事を、あなたの口から聴かなければ人には響かないし、人の心は動かないのである。

『命を絶つ』ことでその問題を終わりにしてはならないのです。

この人生のどこかに あなたを必要とする何かがある!

あなたは肌身に感じて自分を必要とされない限り自信が持てません。

それはなぜでしょうか?

それは、「自分の人生は自分が主体なんだ」と思う一方で、他人から『あなたが必要だ』と聴かないと実感が湧かないからである。

自分の人生を相手に委ねて生きているから、『生きる』と『死ぬ』の狭間で大きく揺れ動く生き方になるのではないだろうか?

あなたという人間は、誰かからわざわざ『必要だ』と言われなくても、もともと必要な存在であり、大切な存在なのである。

誰かから『必要だ』と言われたいうちは、まだ 自分の人生に対して何も見つけられてないのかもしれない。

『必要だ』と言われたい気持ちは、自分の内側にばかり目線がいっていると言えるだろう。

それはあなたが、あなたを生かすことに必死になっている証拠である。

あなた自身が、『誰かの必要』になっていることを理解して今を必死に生きたなら、そんな誰かと繋がりを感じることが出来た時、あなたがこの人生で果たすべきこと:人生の使命に生きることが出来るのである。

なすべきこと

『死ぬ』ことで問題を終わりにしてはならない。

死ぬ前にやらなければならないことがある。

苦しい思い、辛い思いをした人は、死にたいくらいの衝動に掻き立てられて『死』を選んでしまっていると思う。

あなたのような方々が、苦しみを生き抜いて経験談を語ってくれたら、誰かの助けになるし、世の中を変える一助になると思うのです。

あなたと私が生きるこの人生を互いが必死に生きて、幸せになる努力を惜しまずに重ねたら、いつか、必ず絶望という淵から抜け出せるのではないでしょうか?

ひとりの苦しみは、みんなの苦しみです。

あなたひとりではないのです。

生きることが苦しく、死ぬことの方が楽・・・そんなことはありません。

死を選ぶことの方が苦しかったはずです。

死んで楽になったはずの魂が、この世に未練を残していたら、それはもっと大きな苦しみを生むことになるでしょう。

人の魂は、成仏できるような生き方が出来て、初めて『死んで楽になる』のだと私は思います。

死んでも尚、苦しみ続ける生き方には、私は反対です!!

死んでも尚、苦しみ続けるような生き方をするぐらいなら、死に物狂いで誰かのために身を削って死んでいくことの方が、魂は喜ぶのではないでしょうか?と、私は考えます。