健康

成功だけが人生ではない!!

成功を望む人々

成功は誰もが憧れを抱き、失敗は誰もが、『失敗したくない』と望むもの。

それはなぜなのか?

じっくり考えたことはありますか?

 

私が思うに、成功は輝かしく光を放ち、かつ誇らしい。だが、反対に失敗は光はなく、惨めで、カッコ悪い・・・。

誰もがカッコよく在り続けたし、誰からも崇めてもらいたいと願っているのだ。

自分という人間が誰からも認められるような行為は、自分という人間を最も満足させる充足感なのだ。

この自分心の重要性を知らしめることや認められることは、生理的欲求よりも強い、人間に備わった欲ある。

人間という生き物は常にこの欲に踊らされているのである。

勝ち・負け

よく、世の中に『勝ち組』『負け組』とかいう言葉がある。

『勝ち組』って、どういうことかわかりますか?

『負け組』って、どういうことかわかりますか?

 

今、世の中で言われているいわゆる『勝ち組』にはどうも、一瞬一瞬を誰かと比べて、自分がその人より勝っているかどうかに焦点が当てられているように感じるのだ。そうなると、反対の『負け組』とかいうものも、同じ構図を描くことになあるわけだ。

何をもって”勝ち組”、何をもって”負け組”と言っているかは本人次第になってくるところである。

目先の損得

人生というものは、そもそも、今やった一瞬の出来事の成果や結果だけで全てを判断できるものではないのです。

それはなぜかと言えば、失敗したことのない人は、失敗した時に自分の心の立て直しや、失敗から学ぶという基本的な経験がないため、そこから学習につなげることが難しくなってくるのである。

自分の感情の処理に追われて、『なぜ、失敗したのか?』『次回はこうしてみよう!』などという感情に到達することが出来ず、自分自身を慰めることが忙しくなってしまうのである。

 

一方、失敗を繰り返す人は、そこから直ぐに立ち直り、次への一歩を早く出すことが出来るのです。繰り返す失敗で心が強くなっていることが、立ち直りの速さに直結しているのだということが大きな違いと言えるだろう。

目先の計算んばかりしていると、成功か失敗か、そればかりに囚われて、失敗を恐れるあまり、経験が極端に少なくなってしまうのである。

人生における成功と失敗

時に人は、大成功を収めたのにもかかわらず、ある日突然、『この成功に意味などないのではないだろうか?』と、大きな空虚に襲われ、人生の本当の意味を求め始める人がいます。

そして一方で、ことごとく人生で失敗し、深く絶望した人が、反転して生きる意味を問い始める人も少なくない在りません。

そういった意味では、成功を収めた人も、失敗した人も案外近いところにいることがわかる。

 

私は、『人生の問い』に出会えるような人生を送れた人は、全て成功ではないかと考える。

人生の問い問いにぶつかるということは、物事を突き詰めて求めた結果がそのような作用を生み出したと言える。努力の結果である。

その人生の問いこそが、自分の人生をより良く、より深く、そして味わい深いものへと変えてくれるものである。