家族

鬱病と脳のケガ

幼児的願望を満たされていない人

うつ病になる人はすでに崖っぷちな状態で頑張って、仕事をしていたり、崖にいつも身を置いているである。普通の人は縄跳びをしていれば楽しい。傍から見えるのはうつ病の人であろうと、普通の人であろうと縄跳びをしているということだけである。だが、鬱病の人は、崖のたもとでやるこことを強要されている感覚なので、命がけである。

縄飛びしているのだから、傍から見れば楽しそうに見える。しかし、うつ病の人にしてみれば落ちれば死ぬという崖っぷちで、いま落ちるか落ちないかという危険の中で縄跳びをしている。

その状況は誰にも理解されることがないため、ひとりで恐怖と戦い続けなければならないのである。

うつ病になった方の多くは、『自分を助けてほしい』と、常に思っていて、自分の力で這い上がることが出来ずにいる。幼児的願望というと失礼な言い方かもしれないが、他人からの施しが自分への愛を満たすバロメーターになっているのである。周囲の人から愛されて成長していない証拠ともとれる現象である。

鬱病の人の感情と苦しみ

人間という生き物の興味は常に『自分』なのです。

それは、鬱病の人だろうと、鬱病でない人だろうと皆同じです。

常に自分という人間を必要として欲しいし、重要な人物として大事にしてもらいたいのである。それなのに、自分がこんなに苦しんでいるにも関わらず、誰も見向きもしないとはどういうことかと、悲しみでいっぱいになってしまうのである。

周囲の人から愛されていないどころか、周囲の人らが懸命に寄り添ったとしても、自分の言っている言葉の意味や真意が理解されなければ、鬱病の方は苦しみが続くのである。

周囲の人は、うつ病の方の言う気持ちをなかなか理解できなくて、寄り添い続けることに無理を感じながら傍にいるのです。その理解できない者同士が苦しさのあまり感情を上手く表現できなくて負担を押しつけあってしまう。

 

うつ病になるような人は、押しつけられた負担に抗議ができない。淋しくて周囲の人から好意がほしいのに、『自分を分かってほしい』『まず自分を理解してほしい』という感情が先走ってしまうのである。苦しさのあまり分かってもらえないと、心の底で周囲に恨みを持ってしまうのである。

うつ病はその憎しみを表現できないままどうにもならなくなっているのである。

彼らは実際に動くことができない。何度も言っているが、相手に対して憎しみを持っているのにも関わらず、相手から愛を求めているからである。

他者と自分

人はうつ病になるような従順な人間の幼児的願望を満たしてやらないばかりか、逆に自分の感情のはけ口として他人を利用してきた。

だからうつ病になる人は親をはじめ周囲に恨みを持っている。しかしその恨みを表現できないでいる。もしその憎しみを何らかの形で表現できれば、うつ病者もうつ病にはならなくて済んだのである。

しかしうつ病者は逆に周囲の人にいい顔をしてしまっている。だから長年の憎しみが心の底に根雪となって凍りついている。憎しみが心の底にあれば、何をしても楽しめなくなるのは当然である。

うつ病になるような人には楽しむ能力が欠如している。生きることが楽しくなるためには憎しみを取らなければならない。根雪のように心の底に凍りついた憎しみを取り去らなければ、彼らは何を得ても喜べない。長年にわたって憎しみを心の底に堆積させた人は、他人の苦しみだけが喜びになる。

人間という生き物は、自分が満たされて初めて、心から楽しむことを味わえるのである。体の怪我は見えるし、治れば痛くも痒くもなくなるが、脳の怪我は見えないし、脳を怪我していることは気づきにくいのである。明らかに”おかしくならないとわからない”それが脳の怪我なのです。

鬱病という怪我

うつ病者は心理的には崖っぷちで何をしているということが理解できないと、なかなかうつ病者の言動もまた理解できない。

外側だけを見ていけばうつ病になる人は、時に、「あんないいことばかりして何が不満なんだ」と思われることも多いからである。

うつ病者は正体不明なものに脅かされている。何でこうなるのかが本人も理解できない。うつ病はモラルの問題ではなく、脳内化学物質の問題であるという点の理解が大切であると同時に、人間はいつも誰かに、常に大事にしていてもらい生き物であるということである。

 

足に怪我をすれば周囲の人にはよく分かる。しかし脳の中の変化は外には見えなある時、テレビで視覚障害者がサッカーをしているところが放映された。すると音つかさどが「い!」と言う。しかしうつ病者がサッカーをしても「すごい!」と言わない。眼の機能が完全でも、脳の視覚を司る部分が機能不全に陥ればものは見えない。聴覚も同じであるの機能が完全でも脳の聴覚野が障害を持てば聞こえない。

はた傍から見てその人は何かができるように見えるが、外から見えない脳に障害が出れば実際にはできない。

うつ病者が何もしないでいる姿を見て、人はうつ病者の「やる気」のなさを批判す見るのもいるが、聞くのも、脳で見て脳で聞いているように、人は何かを脳でいる。うつ病はその脳の障害=怪我なのである。

 

~終わりに~

人は、鬱になってもならなくても、誰かに大事思われたい存在であるということが、鬱病脱出の近道へのカギではないでしょうか?