鬱病

ツレが鬱になった時

私の人生

人生には様々な出来事があります。

人を好きになり恋に落ちて、結婚し子供が産まれ家族が増える。

様々な出会いの中で人生が変化し、沢山の喜びを経験していきます。

様々な喜びの中、私の体験談を綴っていきたいと思います。

結婚後1番目の子が5歳の頃、2人目を妊娠しました。

お腹の中でスクスクと育ち、夫婦で喜んでいました。

「どんな名前にしようか」「どんな可愛い子が産まれてくるのか」楽しみにしていました。

 

2人目の子供が生まれた時、主人の職場内で移動があり、夫は移動となりました。

私達にもうひとり可愛い家族が増え、主人も新しい職場で『家のために頑張るぞ』と、

意気込んでいました。

その喜び様が私も嬉しくて、『私も家族のために頑張らなくては』と決意しました。

自宅に戻ってからは、私は2児の母として慣れない育児に家事に追われる毎日でした。

何かが変わりだしたのは、それから間もなくのことでした。

主人の元気がないように感じたのです。聞くと、移動先の職場の雰囲気が悪く、怒鳴り合いながら仕事しているとのことでした。

主人は穏やかな性格で、怒鳴ることなどしたことないような人だったので、それは随分精神的にきつく辛く、耐え難い心境の中で仕事を頑張ってくれていました。

徐々に食欲が低下しているように感じました。

笑顔も何となく少なくなっているようで、「大丈夫?」と声をかけると「うん・・・大丈夫・・・。」と言ってくれてはいました。でも、その大丈夫は何処か危なげで、手放しで見ていられるような感じではありませんでした。

それからも、主人は複雑な心境を抱えながら仕事を頑張ってくれていました。

私は、家事や育児・子供との日々を過ごす事が忙しく、自分の時間もとれないほど忙しく動いていました。

互いに妻として、夫として賢明にやっていました。

家族団欒の時間でさえ、何かを思い悩む姿が多くなり始め、これは何かがおかしいと感じながらも私は、『まだ、新しい職場だから慣れないのだろう・・・』『子供が産まれ、負けていられないと思っているに違いない』『きっと、慣れてくれば 明るさを取り戻すに違いない』とポジティブに考えていました。

それから数ヶ月が経っても、明るくなることはなく、家族団欒のひと時、思わず吹き出してしまうような内容のテレビが流れていても、ひとりで深刻そうな表情で過ごしているのでした。

私は、「大丈夫?」「無理しなくて良いんだよ」としか声がかけられず、どうして良いか戸惑うばかりでした。

妻として家の中を片付けたり、家族のために食事を作ることで夫を励ますことしか出来ない私は、常にもどかしさに押し潰されそうになりました。それでも、負ける訳にはいかないと、気持ちを強く持って、今ある自分のやるべきことに徹底的に集中しました。

でも、まだこの時は家族で支えれば何とかなるだろうと信じていました。そのことを信じずにはいられない心境でもありました。

今思えば、それは完全に鬱病の始まりでした。

それから少しして、食欲がなくなったり、夜眠れなくなりだしてきました。

夫の表情は疲れているようでした。

病院受診を促して『鬱』だとわかってからも、診断が下ったからと言って何が変わるわけでもなく、生活はしていかなければならないし、暗い毎日は続くのでした。

”鬱病” のことに関しては私も看護師なので少しは知識はありましたが、これほどまでに厄介な病気だとはこの時はまだ知る由もありまでした。

家族だから距離が近く、いちいちの表情や息遣いが自分の胸に刺さって私を苦しめるのでした。家族だから離れることが難しく、『上手に息抜きをして 楽しみをみつけましょう』なんてアドバイスが書いてあったけど、とてもそんな心境になれるわけありませんでした。

全てが綺麗事に感じたし、全てが、教科書の中の教えごとを立場のある人が説明しているだけで、そのアドバイスに感謝の念を抱いたことはありませんでした。むしろ、憎しみが増幅するような心境でした。

鬱病の旦那様と生きていくことに、私はもう疲れていました。

そんな毎日を生きて、私は疲弊していました。

それでも私は『絶対に負けてたまるかと』唇を噛みしめて毎日をやり過ごし、ある日主人を外に連れ出し、家族で久しぶりに外に出ました。

無邪気に遊ぶ子供の傍で、子供の遊具のターザンロープを握りながら ”死にたい” と縄を結ぶ姿が目に入った時、私はどうしてよいかわかりませんでした。そんなことが何度も繰り返されるたび、本当に生きた心地がしませんでした。

それでも、『一緒に今を生きようね』と声をかけながら毎日生きていましたが、

死にたい気持ちとわずかに生きたい気持ちの狭間で、フッとした時、誤って死んでしまう恐れもありました。

毎日が怖かったです。

いつ何時も覚悟をして生きなければならない日常がそこにはありました。

子供を授かり産み育てる私が、主人と同じ気持ちになり下がっていれば、今、ここにはいないでしょう。

それから、想像を超える闘病生活は4年間も続きました。

言葉では言い表せないほど過酷な時間でした。

 

 

懸命に寄り添った甲斐あって、主人は少しづつ回復していったのです。

非常に危険な時も何度となくあり、寿命の縮む思いも何度もしました。

今、生きていることは ”奇跡” です。

『生き抜いてよかったぁ』と私も主人も感じています。

可愛い家族に囲まれてにこやかに過ごせることの喜びは、何にも代え難い大切な宝です